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ママテク(@mamateku)ライターのののかママです。
おそらく毎年2月頭くらいには保育園の4月入園の可否が決まる時期かなと思います。
残念ながら現在の日本では希望しても保育園に入れないことも多くあり、保育園に入れるかどうかはその家庭の今後を左右すると言っても過言ではないので、戦々恐々としているママもたくさんいるのではないでしょうか。
我が家は保育園の申請は2回行っています。
1度目は新生児の時。4月入園を狙って申請しました。
2度目は夫の転勤で他県に引っ越した時。2回目は1度目のように簡単にはいかず、待機児童期間ももちろんありました。
今回は我が家の2度の保育園申請の経験と、待機児童になった時にどう乗り越えたのかについて書いてみたいと思います。
パッと読むための目次
あっさり申請が通った!1度目の保育園申請
我が家は生後半年にもならない時点で保育園の申し込みをしました。
何でそんな時期に申請したかというと、理由は単に4月入園じゃないと厳しい、1歳児は激戦になる…とうわさに聞いていたからで、
本音で言えば、1年間は丸々育児休暇を取りたかったのですが、秋生まれの我が子なので、秋に入園を待つとなると10月の人事異動の時期を狙うしかなく、それで空きを待つのも厳しい、かといって、そのあとの4月を狙うと会社に1年半も穴を開けてしまうことになります。
生後半年。まだまだ小さくて、おっぱいも飲んでいて、私が離れるだけで泣く我が子を人に預けるというなんとも言えない寂しい気持ち。
そして、まだ夜泣きもあるので睡眠時間を確保できていない、授乳もあるのでおっぱいをどうしようという自分の体力への不安感。
しかし、育休も育児休業給付金も貰っているので復帰はしなければいけないわけです。
このご時世で保育園入園を許可されたことはとっても嬉しかったのですが、同時に今後の生活への不安も強く襲ってきました。
保育園に入れた理由を自己分析
なんてラッキーなんだろう…と思うのですが、我が家は最初の申請で第一希望にしていた保育園に入れたのです。
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保育園に入れた理由を直接役所に聞いたわけではないですが、自分で思うこれが理由かなと思うことは下記の通りです。
- 勤続10年以上だったこと
出産した時点で今の会社での勤務は勤続10年を超えていました。転職はしたことありますが、新卒から今まで一度も不就労期間がなく、ずっと住民税を払い続けています。 - フルタイム勤務であったこと
妊娠中も臨月までフルタイム(9時~18時)で働いていました。産前休暇は取らず、有給がたくさんあったので有給を使いました。 - 祖父母の協力は得られないこと
義両親は遠方に住んでいて、私の両親は自営ですがフルタイムで働いているため祖父母の協力は得られません。 - 希望の保育園
希望の保育園は2つしか記入しませんでした。申し込みの際にも、役所の人に第二までしか書かないのですか?と聞かれたのですが「どちらかに入れなければ入れるまで待つ」と伝えました。
点数としては一番有利な条件だったと思います。
しかし、それぞれの役所で基準みたいなものも若干違うようですし、フルタイムで働いていても保育園に入れない方がいるという話もたくさん聞く中で、第一子なのに第一希望に入れたのはとてもラッキーだったと思います。
なぜ、第一子だったからラッキーだと思ったかというと、入園後同じクラスの半分くらいは上のクラスにお兄ちゃんやお姉ちゃんのいる家庭ばかりでした。
やはり同じ保育園に通わせる方がパパ・ママの負担も軽くなるというものあるので優遇されているのではないかなと思いました。
保育園選びで妥協しなかったこと
保育園の申請にあたって、特に希望の保育園に関しては、妥協しませんでした。
うちの娘の通っていた保育園は駅から半径で10分のところにあり、とても人気のある場所でした。
私の使っていた駅の周辺で10分圏内のところは二つしかありません。そのどちらも大人気で待機児童数はとても多いところでした。
保育園の申し込みの際、隣にいた人の用紙がちらっと見えたとき、希望欄にはびっしり第8希望まで書かれていて内心は焦ったのですが、我が家の場合はたとえ保育園に入れたとしても、それが遠方の保育園であれば仕事と両立していくのは難しいだろうと思い、あえて徒歩圏内の2つの保育園しか記入しませんでした。
役所の人にも大丈夫なのか聞かれたのですが、そこに通えなければ仕事と両立できないので、いずれかに入れるまで待つ覚悟があると少し強気で伝えました。
これは、私の通勤が通常でも1時間半かかる為、家から一番近い保育園だったとしても保育園を経由して会社まで行くと2時間はゆうに超えるからです。
子育てと仕事を両立するためには通勤に使える時間は2時間が限度であると思っていたため、それ以上に時間のかかる場所は最初から選択肢に入れるつもりがなかったのです。
遠いところに通っても、それが原因で子どもと接する時間が減ったり、子どもの睡眠時間を削ったり、自分の仕事が続かなくなるようであれば保育園に入れる意味はないと思いました。
また、保育園の保育方針も妥協しませんでした。
自分の子どもが楽しく生活できるように、妊娠中から散歩の際に家のそばの保育園を見て回ったり、保育園のお祭りやバザーには顔を出して雰囲気をチェックしたりもしていました。
あえて保育園見学というものは行っていなかったのですが、保育園の園庭の外から、子どもたちが楽しそうにしているかどうかや、日中の遊びのバラエティなどを見学していました。
お祭りやバザーでは、保護者の参加があるかどうかも意識してチェックしていました。
保護者の参加の多い保育園は親の負担も大きいですが、父兄が積極的に保育園行事に参加している保育園の方が安心かな……という気持ちも強かったです。
お祭りやバザーでの保護者同士の雰囲気も、いつか自分もその中に入る可能性がある…という観点で見ていました。
そして最終的に、一番我が家から近く、先生たちや保護者の仲が良さそうな保育園を第一希望にしました。
保育園入園前に準備したこと
保育園の入園許可が出て、実際に保育園に通えることが決定してから、私が取った準備がいくつかあります。
それは、まずほかの人に預けてみることでした。
それまで一切娘と離れたことのない私でしたが、私の母の仕事が休みの時に2時間、3時間と子どもを預けてみました。
他人に子どもを預けたとき、子どもがどうなるのかを事前に知りたかったのです。
母で問題ないことがわかると、今度は託児をしてくれる歯医者に通いました。
子どもの保育園入園を前に、子どもにもほかの人に世話をしてもらうことに少しでも慣れてほしいという気持ちがありました。
次に、私がしたことは保育園と同じ状態にすることでした。
事前に保育園に問い合わせ、保育園であげているミルクの種類を確認して、家であげるミルクも同じ種類のものにしました。
母乳でも十分に足りていましたが、1日に1回はミルクをあげて、哺乳瓶やミルクに慣れさせました。
親に預けるときにもそのミルクを持参してあげてもらいました。
また、私の娘の通う保育園は布おむつだったため、朝登園すると紙おむつから布おむつに履き替えさせる必要がありました。
どうせ入園したら使うからと、おむつカバーや布おむつを何枚か用意して、少しずつ慣らすことも始めました。
そして、朝起きる時間、夜寝かす時間なども少しずつ保育園生活や自分の仕事に合わせた時間に直していきました。
それまでは夜泣きをしたら昼間寝るなどしていたのですが、仕事が始まってからはそうはいきません。
自分の身体の生活リズムも復帰後を見据えて準備を始めました。
今から思うと、布おむつは特に準備が必要なかった気もするのですが、ミルクに関しては入園してから保育園のミルクを飲めない子も何人かいたため、事前に準備しておいてよかったと思います。
保育園の入園許可が出てからは、出来る範囲で保育園生活に合わせた生活のリズムに変えていくことを始めました。
この期間があったことで、子どもへの準備ももちろんですが、自分自身の気持ちも復帰に向けて前向きになっていったと思います。
夫の転勤のため二度目の保育園申請→待機児童に。
そして、保育園にも慣れて、仕事も復帰後のブランクを乗り越え、忙しくても充実した毎日を送っているときに晴天の霹靂、夫の転勤が決まりました。
もともと転勤がある仕事なのは分かっていましたが、子どもが出来てからは初めてのこと。
私の職場では在宅勤務も認められていますし、支店も各地にある為、仕事を辞めたり探したりすることは必要ないものの、我が家にとってはこの転勤において、子どもの保育園をどうするかが一番大きな課題でした。
結果的に、その一番大事な保育園の部分が夫の異動までにクリアできなかったため、夫だけ先に単身赴任をしてもらうことになり、私が一人で子どもを見ながら子育てをしつつ、新しい街での保育園を調べたり、有給を取って夫の住む町に訪れた際に申請の方法を役所に聞きに行ったりして保活を行うことに。
しかし、新しい街で保育園の入園状況や待機児童の状況を聞き、実際に申請を行った際に言われたことは、私に仕事はあり、保育園への申請をする条件はあったとしても「激戦区のため年度内の入園は奇跡的」であることでした。
その時点で娘は待機児童になることがおおむね決定。
我が家の遠距離からの保活生活が始まるのでした。
保育園が決まらなければ家族そろって暮らすことが出来ません。保育園がなければ仕事することもできません。
そんな状態ですから、私がとれる方法は二つ。
「引っ越しに伴って仕事を辞めて夫の転勤についていき、子どもが保育園に入れる年になるまでは主婦になる」か、「それともしばらく夫には単身赴任を頑張ってもらいワンオペの子育てを続ける」か……。
しかし、我が家の家計の都合で私が仕事を辞めることはできません。
また、新しい仕事のために今の仕事を辞めてしまうとその転職期間は保育園に入る為の点数が減ってしまう懸念もありました。
待機児童が多ければ点数の高い人から優先されるでしょうから、点数が減ってしまうことはなるべく避けたかったのです。
とはいえ、ワンオペの子育ては思いのほか大変でした。パパと離れた不安で子どもも夜泣きが続きます。
ちょうどイヤイヤ期も始まり、何かあるとすぐ泣く、騒ぐ…。
それはパパの不在がもたらす影響か、成長の課程かもわからず、子どもの感情の起伏にはとても手を焼きましたし、何よりも娘に申し訳ない気持ちでいっぱいで自分を沢山責めました。
また、頼れる人が居ないため残業も出来ず、急な休みも増え、子どもにも職場の人達に対する申し訳ない気持ちも募るばかり。
これ以上迷惑もかけられないと、仕事を休職をするべきかどうか本気で悩みましたが、休職をしてしまう間は保育園に入れる可能性も低くなりますし、引っ越し先は国内でも有数の保育園激戦区ですので、無認可の保育園でさえもフルタイムで預かってくれる場所もなく途方にくれました。しかも費用も驚くほど高い……。
これはきっと、待機児童になっているご家庭が皆直面することだと思うのですが、仕事をするために保育園に預けるのが保育園の存在位置であるはずなのに、保育園に入れる為に仕事をどうしよう……と、案ずることの内容が自分の中で大きく変わっていっているように思いました。
一か八か、会社に交渉してみることに
そして悩みに悩んだ結果、私が取った方法は「とりあえず引っ越し」でした。
何よりも、子どもが抱えるパパがいない寂しさを何とかしてあげなくてはならない、と思ったのです。
そして、引っ越ししてしまった時点で、今までの町での子どもの保育園入園資格は消え、娘は新しい街での待機児童になったのでした。
私は、というと、仕事はやめませんでした。
『保育園を何とかしてほしい』と役所に言ってもどうしようもないことが分かっていたため、役所ではなく、一か八かで会社と交渉をしたのです。
働きたいのに保育園に入れない、しかし仕事を辞めたり休職したりしてしまえば保育園に入れる可能性すら減ってしまうことになります。
働き続ける方法を会社と交渉してみようと思ったのです。
幸いにも私の会社は自分が病気の時や子どもが病気の際などやむをえない状況の場合には申請をすれば在宅での勤務も認められているため、交渉はしやすい環境であったと思います。
また、新しい支店が慢性体な人員不足であることも分かっていたため、休職することで会社への影響も大きいことを切々と伝え、待機児童の間は半年を限度として子どもを見ながら仕事をするということにしてもらうことに成功しました。
もちろん、子どもの世話をしながらの仕事ですので、ずっとPCの前にいたとしても会社で働いている通りに働けるわけはありません。
その分の給与は若干減りましたし、今まで外で思う存分走り回っていた子どもは仕事しているお母さんと家の中で二人きりという状態で欲求不満そうでしたが、働いている実態は作ることが出来るようになりました。
待機児童になった後も役所に働きかけた
実際、子どもを見ながら仕事をしている間はそれほど長くは続きませんでした。
予想していたよりもとても早く途中の入園が出来たのです。
子どもを見ながらの仕事は正直とてもきつかったです。
外で遊びたい子どもの欲求を満たすために、朝は1時間早起きをして、朝ごはんとお昼ご飯を作っておき、作り終わると子どもを公園に連れて行って思う存分外遊びをさせました。
当時は子どもに朝ごはんを食べさせ、外で遊んで、帰ってから仕事をしている間はテレビやビデオでつなぎ、お昼ご飯を食べさせ、自分のお昼休みは返上で30分程度外に出て一緒に走り回り、残りの時間で昼寝をさせまた仕事に戻る。
近くの保育園の一時預けの予約が取れれば半日だけでも預けましたがなかなか空きもなくて苦労しました。
時には公園で遊ばせながら、傍らでパソコンで仕事をすることも…。
そして、私もとてもきつかったのですが、何よりも子どもが一番可哀相だったと思います。
今まで外でどろんこになりお友達と思いっきり遊んでいた毎日が終わり、日中お母さんと一緒にずっと家の中。
十分に構ってあげられれば良いのですが、在宅といってもフルタイム勤務のため、お母さんはPCやスマホに縛られていてあまり構ってもらえません。
そんな毎日でしたので、時々役所の保育園の窓口に状況を問い合わせ、子どもが可哀そうなので…と相談することはもちろん、子ども定期健診の際などには保健士さんに現状を相談していました。
それが功を奏したのかどうかはわかりませんが、待機児童数が二桁居た保育園だったのに、2か月くらい後には第一希望だった保育園の入園許可が下り、子どもも保育園に通えるようになりました。
現在は私も通勤の仕事に戻り、子どもには新しい保育園のお友達もたくさん出来て楽しそうです。
後から分析するに、新しい街での待機児童期間がたったの2か月で住んだのは、勤務実態を途絶えさせることなく維持したことが一番大きかったかなと思います。
まとめ
これから保育園の入園の可否を受け取るにあたり、不安な気持ちで結果を待たれている方もたくさんいらっしゃるかと思います。
我が家の場合は特殊なケースかと思うのですが、我が子が待機児童になった経験から言えることは、可能性が少しでもあるのであれば、手あたり次第相談してみても損はないということです。
おそらく私の人生でこんなに役所に問い合わせたことはなかったと思います。
また、会社に対しても自分の勤務体系について相談をすることもなかったと思います。
自ら働きかければ変わっていくこともたくさんある、子どもの待機児童経験を経て、そんなことを学びました。