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ママテク(@mamateku)ライターのMeow-Meowです。
みなさんは子どもが産まれてから夫婦だけの時間って過ごせているでしょうか?
子どもと過ごす時間はもちろん楽しいものですが、夫婦だけで過ごす時間もまた違った楽しさがあると思います。
わが子は産まれてすぐにNICUに運ばれ、思い描いたような入院生活ではありませんでしたが、筆者も夫もわが子が産まれたことに対しては喜びを感じていたはずでした。
でも、ある日、夫が
どうしてそんなことを言ったのか。
残りの45%は何なのか。
夫が胸に秘めていた思いがとても意外で、だけど、もしかしたら多くのパパが抱いているかもしれない感情だったので、みなさんにも知ってほしくてこの記事を書いてみました。
パッと読むための目次
出産後1年半、当時の夫の気持ちを聞いてみた
「そろそろ二人目を考えようか」というタイミングで、わが子が産まれた当時のことをパパと振り返る機会がありました。
わが子は、緊急帝王切開で産まれました。
筆者は「骨盤が狭そうなので、赤ちゃんが大きくなりすぎると通れなくなるかもしれない」というリスクが予想され、赤ちゃんの体重が3000グラムを超えそうになったため、予定日前に誘発分娩を行うことになりました。
しかし、陣痛促進剤の効きが悪く、また、ひどい副作用にも苦しめられ、三日三晩の陣痛に耐えた末に緊急帝王切開となりました。
やっと産まれたわが子は、『新生児感染症』の疑いと、軽い『新生児呼吸不全』ですぐにNICUへと運ばれました。
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そんなこともあり、当時のことを振り返ると「大変だったなあ」という言葉が最初に出てきます。
妻の出産を喜べない夫。嬉しさは55%…?
すると、パパがこんな話を始めました。
でも俺、その気持ち分かる気がするんだ。
突然、こんなことを言い出したので、筆者はドキッとしました。
“嬉しかった”という気持ちも半分以上を占めていたことを知り、少しほっとしました。
でも「残りの45%は何なのだろうか」ととても気になりました。
残りの45%の内訳は?
では、わが子が産まれたときに、パパはどんな気持ちだったのかと尋ねてみました。
すると、こんな風になりました。
寂しさ…20%
不安…20%
「疲れた。終わった。よかった」という気持ち…5%
「なるほど」と思いました。
あのときパパはこんな風に感じていたのだと、産後1年半経ってようやく知ることができました。
言われてみれば、筆者自身もたしかに、育児への不安や疲れは感じていました。
これを機に、当時の自分の状況も思い返してみることにしました。
育児に対する「不安」
出産と同時に、育児が始まります。
のんびりしたマタニティライフに終わりをつげ、出産の傷も癒えぬままに育児がスタートすることに、出産早々不安を感じていたというママも多いのではないでしょうか。
初めての子どもであれば、それはパパも同じ。
家族のために、今以上に一生懸命働かなくちゃ
自分に父親が務まるのだろうか…
など、今までは実感がなかったけど、わが子が産まれて初めて『父親』としての責任を感じ始め、戸惑うパパもきっと多いと思います。
パタニティブルー(マタニティブルーのパパ版)とも呼ばれるそうです。
わが家のパパも、わが子の誕生と同時に『父親』としての自覚が芽生え、新入社員の頃のような緊張感を感じたと言います。
たしかに“パパ”としては新米なのですから、これから覚えていくこと、初めて経験することばかりで緊張するのも理解できます。
この不安や緊張感は育児に慣れるまで、パタニティブルーはしばらく続くのではないかと思います。
二人の生活が終わる「寂しさ」とは?
家族が増えるということは「夫婦ふたりだけの生活に終止符が打たれる」ということでもあります。
それに対して「寂しさ」を感じることは、当たり前の感情なのではないかと思います。
夫婦がお互いを大切にしていた生活から、子ども中心の生活へとシフトしていきます。
お互いを思いやる余裕のないときだって、たくさんあると思います。
また夫婦ふたりで出かけていた場所も、今度はわが子を連れて行くことになります。
たとえば、筆者と夫の共通の趣味として『旅行』『サイクリング』『温泉』などがありますが、「わが子が産まれてからはできなくなるね」と妊娠中によく話していました。
このようにわが子の誕生とともに、「できなくなったこと」「失ったもの」というのはいくつもあります。
行きたい方面へ車でドライブしながら、その日泊まるところを決める(直前・当日予約だとかなり安く良い部屋に泊まれることが多い)という気軽な「ぶらり旅」も多かったです。
しかし子連れだと、同じようにはいきません。
旅行コースや宿泊コースも事前に決め、いろんな用意をして行かないといけないので、簡単にはいきません。
また「安い宿でもいい」というのも通用しません。
子連れ向けのサービスを提供している、子どもを連れて行って迷惑にならない宿にどうしても限定されてしまいます。
もともと乗っていたのがスポーツ用自転車だったので、子どもを載せられないし、自転車好きゆえに自転車の危険性を知っている(お互いに事故を経験している)ためです。
付き合っていた頃に一緒にサイクルショップへ行って選んでもらった筆者の自転車は、引っ越しの際に処分してしまいました。
温泉を利用した温水プールは水着着用で一緒に入れますし、付属のスポーツジムで一緒に汗を流すのも日課になっていました。
しかし、それらはどこも子連れで行く場合は子どものおむつがはずれていることが条件のため、しばらくは行けなくなってしまいました。
このように出産してからはいろんな制約を受けることになり、妊娠中に先輩ママから言われた「十年間は夫婦の時間なんてないわよ」という言葉の意味を実感することになりました。
マタニティライフからのギャップ
「そんなの分かってて子どもを作ったんでしょ」と言う人もいますが、これらを妊娠前に予想できたかというと、できませんでした。
陣痛の痛みを「鼻からスイカを出す」と表現されても全然ぴんとこなかったように、子どもを産むことでこんなにも生活が変わるなんてこと、まだ妊娠もしていない時点では実感がないのではないかと思います。
でも、妊娠をしてからいろんな情報を知ると「あれもできなくなるんだ」「これもやめないといけないんだ」ということが分かり、出産が近づくうちに徐々にあきらめるようになります。
そして妊娠中は「これが最後だから。今しかできないんだから」と趣味を謳歌し、自由な時間を楽しみ、夫とふたりの時間を満喫していました。
わが子の誕生とともに、その日々が終わることを「寂しい」と思ってしまうのは、いけないことなのでしょうか。
ドラマでは幸せいっぱいな誕生シーン。でも現実は…
待ちに待ったわが子の誕生は、誰だって嬉しいもの。
病室には明るい陽が差し込み、わが子を抱いたママも、それを見守るパパの顔にも、みんな笑顔の花が咲いている。そんな光景が浮かびます。
しかし現実は、必ずしもすべての家族がそうではないと思うのです。
ドラマや雑誌などで見る幸せいっぱいな誕生シーンは分かりやすいように「作られた」もの。
そんなきれいなもんじゃない、と筆者は思うのです。
筆者のように大変な出産を終えたばかりで体調が戻らない人や、育児に対する不安が大きい人もいます。
ママになる、パパになることは100%の幸せでないといけない?
この話のきっかけとなった『妻が出産したけど、嬉しくない』とSNSで発言をした方も、わが子の誕生は嬉しいけど、寂しい気持ちや不安の方が勝っていて、うまく喜ぶことができなかったそうです。
パパから聞いた内容ですが、それに対して次のような批判が寄せられていたようです。
- 父親としての自覚が足りない
- 自分の好きで子ども作ったんでしょ?
- 子どもがかわいそう
- もっと喜ぶのが普通なんじゃないですか
どういった人たちの意見なのかはわかりませんが、ママ側からの意見もあったようです。
これはパパだけの感情なのかもね。女にはわからないや
この記事は批判意見ばかりを集めた悪意を感じてしまう内容でしたが、共感や肯定意見もきっとあったはずだ、と筆者は思うのです。
「幸せ」とは、わが子の誕生の瞬間に降ってくるものではなく、あとから噛みしめるものではないかなと筆者は思います。
だからわが子の誕生を手放しで喜べなかったとしても、パタニティブルーがずっと続くわけではないと思うのです。
わが子と離れることが悲しくなかった産後
産まれてすぐにNICUに運ばれてしまったわが子。
その前に一度だけ抱っこすることができました。
正直、なんの感慨もありませんでした。
帝王切開の傷が痛む中、パパと看護師さん二人に手伝ってもらって起き上がり、両腕に刺さったままの点滴や、指先につながった機械などに気を付けながら、麻酔の切れたあとのぼうっとする頭で「これがわが子かあ…」とぼんやり思いわが子を抱いたことを覚えています。
そのあと別の大学病院のNICUへ移るということで、お迎えの車が到着したことを受け、急きょお見送りに行くことになりました。
しかし、筆者はまだ点滴やら尿道カテーテルやらがつながったまま…。
あわただしく車いすに載せられ、右手に点滴台、左手に尿道カテーテルの先の導尿バッグ(おしっこが入っている袋)を持ちながら、パパに押されてナースステーションまで行きました。
他の入院患者さんもいるのに恥ずかしいし、傷も痛いやらで、わが子の顔など見る余裕はまったくありませんでした。
わが子のNICU行きを聞いたときはショックでしたが、いったん受け入れてしまうとそんなに悲しくありませんでした。
なんだか流されるまま、言われるがまま、ただただ受け身の産後生活だったような気がします。
ママ友に同じく産後すぐNICUに子どもが入院した方がいて、そのママは子どもが帰ってくるまで毎日泣いていたそうです。
普通だったらわが子がNICUに行ってしまうのを泣いて見送るのでしょうか。
こんな正直な気持ちをインターネット上に投稿したら、こんな私は例の発言をした男性と同様に、「母親失格」だと批判されるのでしょうか。
産後は疲労でそれどころではない
誘発分娩、陣痛促進剤のひどい副作用、三日三晩の陣痛、そして緊急帝王切開で満身創痍となった筆者は、退院するまでご飯が一口もまともに食べられず点滴だけで過ごしました。
正直に言えば「わが子が産まれた喜び」はたぶん8%くらいしか感じられなかったのではないかと思います。
あとの92%は「疲労感」「不安」「不快感」「苦しい」「痛い」「陣痛がなくなってよかった安ど感」などが占めていました。
このまま家に帰って、育児が始められるのだろうか。
わが子は三日でNICUのある大学病院から筆者が入院している産婦人科へと帰ってきてくれました。
しかし筆者の体調が悪く、ほとんどナースステーションで預かってもらったっきりでした。
最後の1日で気力を振り絞り、授乳や沐浴をなんとか教わることはできました。
産後の回復が遅かったため、入院を1日伸ばし、誘発分娩から数えて11日間で退院しました。
笑顔で退院というよりは、これから待ち受ける『育児』というものに立ち向かうために、夫婦そろって真剣な顔をしていたのではないかと思います。
我が子への愛情はあとからついてくる
そんなことを、久しぶりに思い出しました。
なんとなくテレビや雑誌の影響で、「わが子が産まれたときは、本当に嬉しくてハッピーだったよね」という魔法にかかっていたような気がしました。
そう、筆者は全然ハッピーなんかではなかったのです。
パパの言った「55%」になんて到底及ばないくらいの「嬉しさ」しか、持ち合わせていませんでした。
わが子、ごめんなさい…。
でも筆者たちのように「愛情があとからわいてくるタイプのパパ・ママ」もいると思うのです。
わが子が産まれてきて、一目見た瞬間に「愛おしい!」「大好き!」「もう離したくない!」と思うパパ・ママもいて当然だと思います。
しかし最初は「なんだかよく分からなかった」というような感情を抱くパパ・ママもいるのではないでしょうか。
今はもちろん、わが子が可愛くて仕方ありません。
ですが、それは産まれてから現在まで毎日お世話し、成長を見守るうちにわいてきた愛情なんだと思うのです。
夫婦ふたりの時間を積極的に作ろう
パパの本音を知り、自分自身の心にも気づいてからは、夫婦ふたりだけで過ごす時間を積極的に作るようにしました。
とはいえ、どちらの実家も遠方で、わが子を「ちょっとみてもらう」ということができないため、たとえコンビニまでであっても夫婦ふたりでどこかに出かけるということはできません。
したがって、意識して時間を作るようにしないとなりませんでした。
定期的に一時保育を利用する
そこで「たまにはふたりきりで楽しもう!」と思い、結婚記念日はわが子を一時保育に預けて、パパとふたりでホテルランチを食べに行きました。
今まではたとえばゆっくりショッピングをしたい、子連れで行けないライブやコンサートに行くというときはお互いにひとりで行動せざるを得ませんでした。
しかし、一時保育を利用して夫婦でショッピングや趣味を楽しむということもたまにはいいかもしれないなと思いました。
なぜなら、わが市では『リフレッシュ一時保育』なる制度があります。
年に一度、未就学児のいる家庭にリフレッシュ券が配布され、無料で1日一時保育を利用できるのです。
その名のとおり、普段育児に忙しいママやパパがリフレッシュできるようにと考えられたものだそうで、
パパとのデートに一時保育を利用するのも、ありだと筆者は思います。
パパとママがすれ違いばかりで疲れているよりは、パパとママが仲良しであるほうが、わが子も楽しいと思うのです。
子どもの寝たあとの時間を活用する
お昼寝は「いつ起きるだろうか」と時間を気にしてしまいますが、夜眠ったあとなら起きる心配は少ないです(わが子はだいたい朝まで寝続けるので)
なのでこの自由時間を、パパとの共通の趣味の時間にあてることもあります。
映画を観たり、一緒に料理をしたり、旅行の予定を立てたり。
熱中しすぎると夜更かししてしまうので、そこだけは注意しています(笑)
まとめ
筆者は女で”ママ”という立場ですが、パパの話を聞いて『妻の出産を喜べなかった』という男性には共感できると感じました。
出産すれば、誰でもスイッチを切り替えるように『ママ』や『パパ』になれるかというと、そうではないと思うからです。
筆者自身はわが子の誕生と同時に、”ママ”として生まれたのだと感じました。
生まれたばかりのママはまだ未熟で、わが子の成長とともに、一歩ずつママになってきたのではないかと思います。
きっとその男性は妻のことが大切で、とても仲の良い夫婦だったんだなぁと想像しました。
ひとつのベッドの上で、将来についてあれこれ話したり、一緒にお風呂にゆっくり入り、「今日もお疲れ様」とマッサージをしてあげたり。
休日にはこたつに入って、借りてきた映画を一日中観たり、キッチンにふたりで立って一緒にぎょうざを作ったり、彼の弾くギターで一緒に歌ったり…。
そういった2人で過ごした「なんでもない日常」が、今ではかけがえのないものだったなあと思うのです。
それを寂しいと思う気持ちは「悪いこと」や「申し訳ないこと」ではなく、それだけ夫婦がお互いを大好きで、一緒にいる時間が楽しいと思っていた証拠なのではないかと思うのです。
以前のようにはいきませんが、子育て中でも少しずつふたりの時間を作っていこうと思っています。